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小島光顕氏に聞くプロの世界。セカンドキャリアと育成

時計2020.07.17

更新2022.04.22

小島光顕氏に聞くプロの世界。セカンドキャリアと育成

Web広告・マーケティングのいまをお届けするsyncAD(シンクアド)インタビュー第3弾は、長崎出身の元Jリーガーでサンフレッチェ広島に在籍し記念すべき1993年Jリーグ開幕戦に出場。そして現在、相模原市でFCオルテンシアやコジスポサッカースクールなどを経営している小島 光顕氏に出身校である強豪、国見高校時代からJリーグでの経験。プロスポーツに限らず時代の流れは早く「どの業種・職種でも共通している」プロの世界からの転機。そしてその後のキャリア形成についてお聞きいたしました。

コロナ禍でJリーグも新しい時代へと変化を迎えている中、今回はマーケ業界とは異なる特別インタビューになっています。

はじめにJリーガーになった理由

プロになったのは、サッカーをやっている者として、やるならトップの所でやってみたいと思ったからです。国見高校での練習では辛いとは思わなかったですね。上手くなる、強くなるためだからある意味当然かと思っていました。辛いのは、学校生活での授業とか試験とか学校生活でした。

当時憧れの選手

サッカー部時代にはテレビでサッカーを見る機会が無くて、高校時代にメキシコW杯を見たマラドーナのプレーに憧れていたかなと思います。

サンフレッチェ広島時代の経験

プロのスタートとしては、自分にとって最高のチーム。選手として、外国人の監督からの指導も刺激になったし、同じポジションには当時の日本代表の森保(現日本代表監督)元日本代表の風間さんがいて試合に出る為にはどうしたら良いかと考え努力もしました。また、選手の前に人としての立ち居振る舞いにも厳しいチームだったことから、24歳当時、一人前の大人の気分でしたが色々指導され、今にして思えば勉強になったと思います。

アビスパ福岡への移籍と決断した理由

プロの世界…どの世界も同じだと思いますが、同じところにいると自分の場所が決まってくる(チーム内で上から何番目に自分の椅子かあるみたいな)現状に甘んじる事なく、挑戦したかったし、違う環境で試してみたかったという思いがありました。

引退から整体・リフレクソロジーサロンの開業

引退した時は、正直何をやっていいかわからなかったです。ただ、何もしないわけにはいかないと。プロの時代から体のコンディションには気を付けていてトレーナーにとてもお世話になっていました。
また以前から体の仕組みなどにも興味があり、整体を勉強してみようと思いはじめました。知り合いに整体師の方がいたので、習ってみようと思いました。整体の勉強は午前中のみだったので、午後からサッカースクールをやっていました。資格を取得した後は、サッカースクールの前の空いた時間を利用して開業しました。

相模原フットサルコートCOZISPOとFCオルテンシアでの育成と生徒への想い

整体を開業していましたが、同時にサッカースクールコーチもやっていました。やっていくなかで整体で事業拡大をするイメージがつかなかったのですが、サッカーではなんとなく描けていました。

そんな中、サッカースクールの生徒が下部組織のジュニアユースになかなか受からず、プロを断念する現状を目の当たりにしてそれならチームを作ろうと。
下部組織に行けなくても、プロに行く道を作ってあげたいと思いました。

チームを作るなら、「練習する場所も必要になる。じゃ、作ろう」と思いました。様々な方のご協力のもと、『相模原フットサルコートコジスポ』『FCオルテンシア』を同時に立ち上げました。

FCオルテンシア相模原

当社は今年で13年目になりますが、その間にはジュニアチームFCアロンドラも立ち上げました。
FCオルテンシア、FCアロンドラ共に“楽しく・次につながるサッカー”を目指し指導にあたっています。育成年代では目の前の勝利だけではなく、次につながる事を常に考えていってほしいと思っています。

アクティブスポーツのきっかけと展望について

NPO法人アクティブスポーツ FCオルテンシア
NPO法人アクティブスポーツの設立のきっかけは、当団体副理事からの「障がい者の方は高校を卒業した後サッカーをやる場所が限られていて、なかなかできない。」という話からでした。スポーツを通して何か社会貢献ができないかと考えていた私と何か社会貢献をしたいと思っていた副理事の思いが合致し「とりあえず、作ろう!」とすぐに行動に移しました。
NPO法人アクティブスポーツの理念はスポーツを通して共生社会の実現を目指す活動です。

株式会社KOJIMA SPORTS

具体的には、障がい者と一緒に健常者がサッカーをする“インクルーシブサッカー”の活動をしています。普段から障がい者とスポーツを通じて触れ合ってもらうことにより、お互い理解を深めてもらうことが目的です。そうしたことにより、一般社会で一緒に何かをやる、企業で働くことへのハードルが低くなると考えています。
現在、企業の障がい者雇用対策として、2.2%の雇用が求められていますが、現状なかなか実現できていない企業が多いそうです。そうした企業と障がい者の懸け橋になることがアクティブスポーツの存在意義と思っています。
その「懸け橋」事業が少しずつ進んでおります。障がい者も健常者もともに「安定した生活」「夢を追える場所」を作って行きたいと、現在も次のステップへ進む準備もしています。

必死に頑張っている若手にメッセージをお願いいたします

1つ目はとにかく“続ける”ことを伝えたいです。単純なこと、つまらないこと、そういうことを続けることが「夢」への第一歩だと考えています

2つ目は変化を受け入れる。自分の固定観念にとらわれて、変化を受け入れられないと時代の変化に取り残されていくと考えていて、現状維持は衰退と意識していて、常に挑戦し続けるべきだと思います。それができなくなったら、本当の引退と思っています。

3つ目は聞く耳を持つこと。自分自身の考えはもちろんあっていいと思います。ただ、まずは聞く耳を持ち、自分の中で取捨選択して、決断する。聞き入れることで発見もあり、不必要のことも考えることができるのです。私は、プロ選手時代も引退し経営者になってもそれをモットーとしています。そうしたことで、いい縁に巡り合うと思っていますし、実際、私は巡り合っていると思っています。今日、私がここにいることはそうした方たちの縁だと感じています。

最後に、「夢を言葉にする」。今まで私は、「こうしたい、ああしたい」と心で思っていても口に出すタイプではなかったのですが、最近は口に出すことにしています。口に出すことによって、自分の中でもその思いが強くなり、周りに言うことによって応援してくれる人に出会えています。

迷っていたら、新しいことにどんどんチャレンジしてほしい。いずれ自分のやるべき姿が見えてくると思います。

インタビューを終えて

今まで培った経験を生かし、子供たちにプロに行く道を作る環境作りまで辿り着くには相当な努力と強い思いが必要だと感じました。
何かを新しく始めるには「人との出会い」、「強い思いを持ち」、「挑戦し続ければ」実現出来る事を教わった気がします。これらはサッカーに限らず、会社内で新規事業を始める方や独立、スタートアップ企業を始める方にも共通して言えることなのではないでしょうか。
何か始めたいけど一歩踏み出せない方、自分の現状に迷ったり悩んだりしている方はご参考にして頂ければ嬉しいです。

大変忙しい中、本日はインタビューのご協力ありがとうございました。

※今回はJリーグ再開記念の特別インタビューとして実施いたしました。

小島 光顕プロフィール

小島 光顕(こじま みつあき)



小島光顕(こじま みつあき)

国見高校→東京農業大学→富士通(現川崎フロンターレ)
1993年のJリーグ開幕時サンフレッチェ広島に移籍しプロとしてデビュー
1999年アビスパ福岡→2002年現役引退

※Jリーグ通算264試合4得点(J1通算233試合4得点)
※(財)日本サッカー協会 公認B級コーチ/公認C級コーチ取得



関連リンク

相模原フットサルコートコジスポ
FCアロンドラ相模原
相模原コジスポサッカースクール
FCオルテンシア相模原
NPO法人アクティブスポーツ

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